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援デリがこない

2010.09.21

中学卒業後の進路を担任教師(女性)にプロレスラーと言うと「ふざけるな」と激怒されたと言う。しかし三沢が真面目に考えてる事が解るとレスリングの名門である足利工業大学附属高等学校を勧められた。その他、単身で全日本プロレスに入門希望に訪れると偶々居合わせたジャンボ鶴田に「責めて高校を卒業してからにしなさい」と追い返されたエピソードもあり、かなり早い段階からプロレスラー志望だったと言う。レスリング部在籍時も「何でプロレスラーに成りたいのにこんな事(アマレス)しなけれな行けないんだ」と競技としてのレスリングは詰まらなかったと言う。本人談では「(アマレスを)続けてればオリンピック選手ぐらいには成った自身があるが詰まらないから早く止めたかった」と語っている。

中学時代は体操部でそれがタイガーマスクのベースに成ってる事は断言している。
体力的にはプロレス転向前から完成されており「プロってなんて(トレーニングが)楽なんだ。高校時代の方がもっときつかった」と語っている。元々体格にも恵まれていたが高校レスリング部時代は任されてる階級の為、減量が厳しくプロレスデビュー当時はJr.ヘビー級だった。逆に好きに食べれるプロレスは幸せだと語っている。